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ソルパセオ銀座を抜け、流川通りの「名残橋」跡の交差点を渡り、楠銀天街へと入ります。流川通りは、その昔「流川(またの名を名残川)」と呼ばれていた川を埋め立てた通りで、その「名残川」の名は、遊郭(今で言う風俗街)の女性が、この川の向こうへと帰って行く男性を名残惜しく見送っていたことに由来するのだとか。演歌が一曲書けそうな話じゃありませんか。大雨で身も濡れ、心も濡れる中、そんな下町にある寿温泉へ向かいます。
2007.9.14 13:50 (別府八湯温泉道 8湯目)寿温泉に到着
楠銀天街アーケードから路地裏に入ったところに寿温泉があります。温泉の前には駄菓子屋、ラブホテル、昔ながらの商店街。何とも下町風情が漂う界隈です。
番台の"おじょうさん"はテレビに夢中で、時々大笑い。私に気づく様子もありません。声を掛け、100円を払い、浴場へ行こうとすると、番台さんが 「にいちゃん、あちぃけん、うべよな」 と一言。「うべる」とは大分の方言で「水を入れて薄める、冷ます」という意味です。そう言えば、昔、この温泉に入ったとき、相当熱かったよな… と思いつつ浴場に入ります。建物はなんと大正13年に造られたものであり、浴場の扉など、ペンキで塗りなおされているとは言え、確かにかなり古い感じがします。
13:59 入湯
かかり湯でかすかに絶叫。「熱い!!」 お湯に浸かり、再び「熱い!!」 9時に開く温泉なのですが、昼下がりに入った私が、男湯の一番風呂だったようです(床が乾いていました)。女湯は大盛況だったのですが…。じっとお湯に浸かっていようとしましたが、限界でした。急いで水を入れ、洗面器で湯を捨て、また水を入れ…を繰り返しやりました。ただ、冷ましすぎると寿温泉の良さがなくなってしまう、と思い、ちょっと熱いくらいで冷ますのを中断。3分間、"熱湯風呂"に耐えました。もう、全身真っ赤で、まるで茹でダコです。
温泉から上がり、服を着るときにハプニング発生。 「メガネがない!!」 強度の近視である私にとって、メガネは命綱。これがないと湯めぐりはおろか、この温泉から出るのも危険です。「メガネどこ、メガネどこ…?」と頭の中でつぶやきながら、必死に探せど見つからず。あまりにもお湯が熱すぎて茫然としてしまい、メガネをどこに置いたかも、そもそも置いたことすらも忘れてしまっていました。ちょうどその時、40代くらいの方が入ってきました。 「すみません、私のメガネがなくなったんですけども」 「メガネ??」 いきなりそんなことを言われた入浴客は当惑気味。そりゃそうです、あの時はどうかしていました、私。それでも必死に探してくださって、窓枠に置きっ放しになっていたメガネを見つけてくださいました。ありがとうございます。それにしても、「子宝の湯」、あまりにも熱すぎて、湯上がりにお水が欲しくなってしまいますね…。
私が6歳まで住んでいた家は、この寿温泉の近くにありました。寿温泉には入ったことがあまりなく、その隣にあった柳温泉に、父に手を引かれてよく行ってました。お盆には温泉の建物を囲むようにして、町内の盆踊り大会が開かれていましたっけ。その柳温泉、今はもうありません。
この辺りは昔から、流川通りを挟んで向こう側の竹瓦温泉界隈と並んで、「大人のお店」が多いです。お店の名前は変われど、猥雑な雰囲気は昔のままです。そう言えば、私が幼い頃、この辺には「女の館」という建物がありましたっけ。その近くには「王様と私」という建物があり、虹色のネオンサインに女性の黒いシルエットが映った看板があったのを覚えています。幼心にも、「ここにははいっちゃいけない」というのが本能的に分かっていた記憶があります。今は、というと、お店の名前が変わり、おしゃれな「大人のお店」になっていました。
国道10号線、広い表通りへ出ますと、こちらは楠町の表の顔、ゆめタウン別府という大型商業施設が建設中でした。(今はもう完成し、大勢のお客さんで活況を呈しているそうです。)絶え間なく変わり続ける街を、寿温泉のレトロな建物は悠然と見つめているようでした。旅を続ける私は、お水は飲まず、次の温泉へと向かいます。
14:15 寿温泉を出発
さて、そろそろ北浜の大型ホテル街に向かいましょうか。各ホテルでは、それぞれ個性的な温泉が待っています。
前の温泉:ホテル白菊 次の温泉:ホテル雄飛 別府八湯温泉道 名人まで:80湯 初段達成!!
||別府八湯
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